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『石電話』 中川隼

by 半空文学賞

『石電話』 中川隼

 じいちゃんの葬儀では余り泣けなかった。ほかの参列者たちが涙を浮かべる中、僕は目尻が少し湿気たくらいだった。葬儀中常に頭をよぎっていたのは、じいちゃんに最後病院で会った時のことだ。白く濁った眼で僕を見つめながら、皮の剥けた薄茶色の手で僕の手を、強く握った。だがそれを涙に変えるには僕とじいちゃんの間にある思い出は余りにも乏しかった。

 葬儀から二週間ほど経った日のこと、ばあちゃんが定期的に行ってる整体への送迎の帰り道、助手席に座っているばあちゃんに「じいちゃんってどんな人だったの?」と聞いた。我慢の人、農業一筋の人。とばあちゃんは言ったが、そのどれもは想像の範疇に収まるじいちゃん像だった。

「あと、電車好きやったなあ」

 だが次に繰り出されたこれは意外だった。そういえばじいちゃんの田んぼの傍には琴電の長尾線が流れている。ばあちゃん曰く休憩中に電車が通るのを見てはにやにやとし、「あれは何号線や」なんて言ってたらしい。

 ばあちゃんを家に送り届けた後、僕は車を走らせ牟礼にある房前公園へと向かった。隣接した道の駅の駐車場に車を停め、少し歩くとお目当てのものが見えてきた。プラットホーム「房前公園駅」に静態保存された、琴電3000系335号だ。

 以前からこの旧型車両の存在は知っていた。今日、改めて目の当たりにすると、香川の原風景の一部を切り取ってこの場に持ってきたような、今を見下ろす気風を感じる。プラットホームを上がろうとする前に目に入った「335号について」という看板を覗いた。大正一五年から平成一八年一二月の八〇年間、運行されていたらしい。この車両はじいちゃんよりも長生きしていたようだ。

 車両の中は、普段からよく使っている琴電の内装と大差なかった。吊革に荷物置き、緑色の座席シート。僕は腰掛け、窓の外を見る。クヌギの木だろうか?落ち着いた紅に変わっている。根元に敷かれた落ち葉の上で、五歳くらいの子供二人が色あせたそれを巻き上げはしゃいでいる。

 じいちゃんは何度もここに座ってたんだろうか。僕のように窓の外を眺め、流れ行く景色をぼんやりと見ていたのだろうか。もう答え合わせのできない想像を何度も繰り返す。この電車のように、過去を切り取り今この場に持ってこれたら、あの寡黙な口が笑顔を浮かべ、好きなものについて語る瞬間をこの目で見てみたい。

 もっとたくさん話せば良かった。

 僕は溜息を吐き、報われない思いを抱え外に出た。すると、以前は意識していなかったものが急に眼に入った。プラットホームのすぐ眼前にあるそれの元へ僕は歩く。それは四角い石の中心を丸く切り取ったものを線上に二つ並べた石電話だった。

 横の看板にはひらがなでこう書いていた。

「いしで おはなしが できるでんわです ちいさく あいている あなにむかって おはなししてください おかあさんや おとうさんや おばあちゃんや おじいちゃんや おともだちや おにいちゃんや おねえちゃんや おとうとや いもうとと いっぱい おはなししてください」

 まさかだった。もうつながらないと思っていたものを繋ぎとめる手段はここにあった。いや、実際には届くはずはないのだが、それでも今この瞬間、こんなものがあるのに気付いた自分の心は、僅かばかりでも救われた気がしたのだ。

 看板には続けてこう書かれている。「うれしかったことや たのしかったことや おいしかったものや たべたいものや おおきくなったらしたいことや おおきくなったらなりたいもの いっぱいおはなししてください」

 不意に、近くの落ち葉で遊んでいた子供たちが石電話の前を通り過ぎ、少し離れた場所で手招く両親の元へ走っていった。すると思わず目頭に雫がこみあげてきた。涙となって流れ落ちはしなかったが、僕は瞬きをして息を吸い込む。

 全てはほどけているように見えて、繋がっているものだ。柄にもなくそんなことを思えば胸の中心地よい風が吹き抜けるのを感じた。石電話の前でしゃがみ、向こう側に話し相手を思い浮かべる。

 言いたいことは色々あったが、その全てを発するには言葉も時間もおぼつかない。第一、人目につくし無粋だ。僕は少しだけ笑い、小さな声でこう言った。

「頑張る」

 それは本当に向こう側に相手がいたのなら、絶対に聞こえない小声だった。それでもいい。これは僕の自己満足なんだ。そう思い、立ち上がろうとした時、思いもよらない返答が向こうから返ってきた。

 公園を超えた海沿いの線路。琴電の車両が通過する音が聞こえた。百年時を経ても変わらない、がたんごとんという音色が、海と空に吸い込まれていった。

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