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『ナンダサカコンナサカ』 Oニシ

by 半空文学賞

『ナンダサカコンナサカ』 Oニシ

「♪なんださっか、こんなさっか」

 榎井駅から羽間駅に向かう時、母はいつもそう歌って前を向いた。

 ことでんの1両目、右側の先頭に座るのが、私と母の指定席。週に一度、高松の病院に通うため。幼い私の身体の中には、なにやら攻撃的な子がいるらしく、お医者さんにはさっぱり解決策がないという。私の血を取って、眺めて、毎週決まって首をひねっている。当の私は生きているぶんになんの不便もなくて、なんだか母を含めた大人ばかりで難しい顔をしているなぁと思っていた。

 車両はみんなを縦に動かし、吊り革は仲良く並んで横に揺れる。軋む床の木。思い出したように回る扇風機。坂にさしかかると、リズミカルなガタンゴトンという音は強くなり、母の歌声に私も合わせて「♪なんださっか、こんなさっか」と歌う。羽間駅を過ぎると緩やかに下っていく。加速する電車は、田の間を走り、国道の横を抜け、また山に向かっていく。時々車両の繋ぎ目が大声を出す。車両の端っこの人が飛び上がる。でも、もうすぐそんな端っこも見えなくなるほど人が乗り込んでくるはずだ。床にも、扇風機にも体が届かない私は、前に伸びる線路に瞳を乗せて身を小さくする。前に立つ人たちがぎゅうぎゅうになってくると、なんだか座っているのが申し訳ないような気持ちになって母にもたれかかった。

 瓦町から、歩いて病院へ向かう。いつも検査はチクッと痛い。検査のお姉さんから「偉いねぇ」と言われて以来、なんでもなかったような顔をするように心がけていた。腕に刺された注射針が赤い私の身体の中を吸い出すのも、凝視してみせた。今日はお好み焼きを食べたいなぁ。お餅を焼いたやつ、頼んでもいいかな?それとも砂ズリの入ったお好み焼きかな?実は、頭の中はそんなことだらけで埋めて難を逃れていたのだけれど。

 念願のお好み焼きを胃袋に携えて、絆創膏が貼られた腕を突き出す。切符はカチャっとちょっぴり重い音を立てて小さな切り痕をつけて手元に戻された。なんだか、私の腕みたい。ちょっと欠けて、痛そう。昼を越えた下り電車は、朝と違って長閑な雰囲気だ。帰りも1両目の右側先頭を狙うけど、たいてい空いていない。真ん中あたりの長いシートの窓から、風が入る。差し込む日差しが、瞼をゆっくりゆっくり閉じさせにかかる。終点まで乗っていられる安心感もあってか、あの坂はどんなふうに帰っているのかいつもさっぱり思い出せない。高燈籠が見える頃、母に揺り起こされぼんやりと扇風機を見上げた。

 そのうち半年に一度、年に一度と片道1時間の通院は少なくなり、やがてあの坂に会わずに生活するようになった。攻撃的な子は、ある日突然現れたくせに、ぱったりと姿を消した。

 カードをかざして、電車に乗り込む。私の指定席の向かいに、青くて丸い可愛らしい子が座っている。床はいつから木じゃなくなったんだっけ?

「♪なんださっか、こんなさっか」

 車内で歌いだす、とは、とうていできない年齢になってふと思う。あの歌は、私を励ましていたようで、母自身を鼓舞していたのかな。

 上を見上げたら、やっぱり、扇風機は思い出したように回っていて、吊り革は仲良く並んで横に揺れた。あの坂は変わらずなだらかに伸びる。縦に揺られながら、瓦町まで連れて行ってもらおう。

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