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『幸せな記憶』 大西典子

by 半空文学賞

『幸せな記憶』 大西典子

 子育てをしていると、このひとときを、この幸せな思いを切り取って残しておけないものかと思う瞬間がある。たとえば、つたない言葉の娘のひとり言だったり、兄弟でおままごとをしている大人びたおかしなやり取り、何回も転ぶ息子を励ましながら、ふっと自転車に乗れるようになった時のはちきれそうな笑顔を見たときとか、日常の、でもいつかきっと忘れてしまうであろう何気ない日々の瞬間。

それをビデオや携帯で閉じ込めようとすると、その途端にいつもの表情は消えてしまう。

 日常という積み重ねは、形がない。

 それならば。

 そこで私はある計画をした。当時、小学3年生と年長さんだった子供たちに松山のおじいちゃんのお土産を買うため、ことでんに乗って高松築港駅まで行き、降りてすぐの和菓子屋さんで栗まんじゅうを買って来てね、というおつかい。そしてそれをこっそり追いかけてビデオに残そうと思った。ある番組みたいに。

 子供たちにこのおつかいをお願いしたとき、(たしか晩御飯中だったと思う。)二人はすごく喜んで「いけるよ!」と目をキラキラさせた。今までことでんに乗るときはだれか大人と一緒だったはず。(いや、ほんまに二人だけで帰ってこれるん?)とその根拠のない自信につんのめりになりそうになったけれど、小さな冒険は大きな計画になり、毎日2人は行き方を相談しあった。しかしこれがまったくもって不可解なアイデアばかり。「あのさ、懐中電気いると思う?」「2人がバラバラになったらいけないし、トランシーバーがいると思うんだけど。」一体いつになったら切符を買うところにたどり着けるのか。くすくす笑いながら聞き、指折り数えていよいよ当日。2人はぴょんこぴょんこする勢いで行ってきますを言い、電車の時間を十分に確認して、説明したとおりに家を出た。その姿を見送って、私は光の速さで着替えをした。私の存在が途中でバレてしまっては一貫の終わり。急いで髪形を変え、メガネをかけ、昔のパンツスーツを着たら、子供たちには想像できない私になり、最寄りの林道駅まで歩く2人をビデオに撮ろうと自転車に飛び乗った。街路樹に新しい緑があふれる季節で、風の匂いまで青く、うっとりするような中、2人は水筒をななめがけにして、手をつないでゆったり歩いていた。30mくらい離れた後ろから、ああ、なんて会話してるんだろう、ともどかしく思いながら、ほほえましい光景にビデオを向けた。

 そうして2人は駅に着き、息子がお財布から子供料金を出して握りしめるさま、緑色の電車が見えた時の2人の背中から漂う緊張感、並んで椅子に座り、足が床につかないたよりなさ。どれをとっても無防備で何の経験も持たないちっぽけな2人に見え、胸がきゅんとなった。一駅一駅「ここじゃないね」と確認する娘に、窓の外を振り返りながらうんうんと緊張したまま返事をする息子。終点の高松築港駅に2人おずおずと降り、ドームのような改札を出て、ぱあっと明るくなって眩しそうにした後、あからさまなきょろきょろぶり。「くり」の看板を娘が見つけて「くーりーー!」と指さした時の嬉しさで弾けそうな顔。横断歩道を転がるように渡る様子、そして栗まんじゅうを大事そうに持って出てきた時の息子の誇らしそうな笑顔。気が付いたら、最初の歩く後ろ姿からビデオなんて向けてる暇がなかった。けれど、2人の「あったね」「買えたね」「おじいちゃん喜ぶね」の会話をパンツスーツの背中で聞きながら、帰りのことでんの中で小さな冒険者たちの頼もしさに胸がいっぱいになった。

 そんな子供たちはこの春、高校3年生と中学3年生になる。今でも時折、2人がことでんでのおつかいを思い出し、私もあの時の光景が昨日のことのようにぱあっと甦る。ビデオには残っていないけれど。

 子育てってきっとそんな幸せな記憶でできているものなんだな、とふと思う。

 そしてそんな何気ない親子の記憶が子供たちの心を培っていてほしいと願う。

 大きくなって香川を出たとしても。

ことでんとともに。

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